復活節第4主日 C年

福音=ヨハネ10:27-30


「わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大である」(ヨハネ10:29

 

 29節前半は写本の異読がある。第一の読みは「私の父が私に与えたものはすべてのものにまさる」であり、これによれば、御父が羊を守る理由は羊の尊さにあることになる。第二の読みは「私に彼らを与えた私の父はすべてのものにまさる」であり、これによれば、羊が御父の手から奪い取られることのない理由は、誰にも負けない御父の強さにあることになる。分脈としては第一の読みが適切で、新共同訳もこれに従う。イエスに聞いて従うものは、永遠の命を与えられて滅びることがない。それは羊がすべてにまさって大事なもの、愛されたものだからである。

 先週の福音の後半(ヨハ21:15-19)では、「父イエス(子)弟子たち」という派遣の図式(ヨハ20:21)に従って、イエスが持つ「羊の群れ」に対する「牧者」としての責任と権威がペトロに委託される。ペトロの死の予告(21:18-19)は、イエスが「羊のために命を捨てる」牧者である(10:11,15)ことを想起させる。先週の福音の前半(ヨハ21:1-14)が語る「人間の漁師」の職務はペトロと他の弟子たちに与えられるが、「牧者」の職務はペトロだけに与えられる。

  ヨハネ21章冒頭の場面は、ヨハ16:32の予言の成就である。ペトロは、イエスが処刑された後、恐れと失意のうちに「自分の家に帰り」、ガリラヤの漁師に戻ったのである。ヨハ21:1-14は、こうしたペトロの再起を語る物語である。それはペトロの弟子性の回復-「人間の漁師」の職務を再び受けることである。それはまた他の弟子たちの体験でもある。だが、ペトロの再起はそれにとどまらず、「牧者」の職務の授与によって完成される(21:15-19)。ペトロは「人間の漁師」という弟子性の上にさらに「牧者」という使徒性を付与された。こうしてペトロは「牧者」となったが、殉教死に至るまで「人間の漁師」でもあり続けた。(参考文献:レイモンド・E・ブラウン著、石川康輔監訳『旅する教会』ドン・ボスコ社 1998)