年間第7主日(C年)

 

福音=ルカ6:27-38


「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ6:36

 

 今日の福音は「わたしの言葉を聞いているあなたがたに」向けられている。イエスの言葉を聞いたものはその言葉を生きるように導かれる。「言葉と業」はイエスの福音宣教そのもであり、イエスに従う者にとってもそうである。

 20数年前に、コンピューターによって作成された『新約聖書語句辞典』が出版された。この本の元となったデータを入力されたのは、平針教会のKさんという信者さんだ。彼はある人に勧められて聖書の書写を始めたが、ご自分の仕事がコンピューター・プログラマーだったこともあって、どうせ書写するならコンピューターに入力すれば、それがそのままデータとして蓄積されると思い、出勤する前に早起きして、数か月かけて新約聖書を全部入力された。旧約聖書の方は、奥さんと二人のお子さんが協力して一年余りかけてようやく完成した。文字通り、家族そろって毎日聖書を読む実践となった。

 「福音を生きる」とよく言われる。「生きる」と言うと、吹きすさぶ世の逆風に立ち向かっていくというイメージで、聞いただけで疲れてしまいそうだが、「福音に生かされる」なら、神の息吹に身をまかせて、肩ひじ張らずにリラックスして、なんとかやっていけそうになる。今日の福音を「福音を生きる」式に受け取るなら、最初からお手上げで、それこそ「たてまえ」にしてしまうかもしれない。しかし、「福音に生かされる」式に受け取るなら、ひょっとしてできるかもしれないと思えてくる。

 「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」-わたしたちが憐れみ深い者となることができるのは、わたしたちの力によってではない。もし自力でそうしなければならないのなら、それは「倫理」の世界の話である。しかし、これは「福音」としてわたしたちに語りかけられている。わたしたちが憐れみ深くなれるのは、ひとえに神ご自身がわたしたちに憐れみ深くしてくださるからにほかならない。このことに気づくなら、わたしたちはすでに福音に生かされ始めている。