年間第25主日C年

福音=ルカ16:1‐13


「不正にまみれた富で友達を作りなさい」(ルカ16:9

 

 「不正な管理人」のたとえ話によるイエスの教えは、「不正にまみれた富で友達を作りなさい」である。ここでの「不正」を正しく理解するには、当時のエッセネ派の考え方を知る必要がある。エッセネ派の人々は、自分たちを真の「光の子ら」、神によって選ばれた「貧しい人々」と称した。彼らは、迫り来る世の終わりに自分たちの武器と天の軍勢の助けによって地を受け継ぎ、全世界を征服するであろう、それから闇の子ら、残りのイスラエルと異邦人たちとは、世界を支配している悪魔的な諸力とともに滅ぼされるであろう、と考えていた。彼らは周囲との経済的な関係を最小限にとどめた。「主の言葉を侮る者すべてを主はこの世から根絶するであろうし、彼らのあらゆる所業は主の前では汚物同然であり、不潔さが彼らのあらゆる富にこびりついている」(『宗規要覧』5:14-20)。つまり、エッセネ派の人々は「自分たちを堕落の子から引き離し、邪悪の不浄な富から切り離すこと」を義務づけられていた(『ダマスコ文書』6:14-15)。こうしたエッセネ派の人々をイエスは知っており、いくらか皮肉を込めて、彼らの自称する「光の子ら」という呼称を使った。それで、ここで言われる「不正にまみれた富」とは不正な手段で得た金という意味ではなく、「この世の富」のことである。そして、「この世の富を利用して友を作れ」とは、ルカでは特に「貧しい人への施し」を指す。他方で、イエスもエッセネ派と同じように、あらゆる富は神への畏れにとって危険なものと見なす-「神と富とに仕えることはできない」(16:13)。「不正にまみれた富」の直訳は「不正なマンモン」である。「不正」の元来の意味は、神の「義」に反すること、すなわち神に対して「不忠実」であることだ。神に忠実であるなら、富をマンモン(偶像)にすることはないはずだ。今日の福音は、この世にあってこの世を生きるキリスト者に、富に対する賢明な処し方を教えている。