年間第10主日 C年

福音=ルカ7:11-17


「神はその民を心にかけてくださった」(ルカ7:16

 

 福音とは言うまでもなく、「良きおとずれ」のことであり、それは救いの訪れ、すなわち神が救いの手を差し伸べようと近づいて来られることである。きょうの福音において、イエスは町の門に「近づかれ」、一人息子を亡くしたやもめを「憐れに思い」、「近づいて」棺に手を触れる。そしてイエスの癒しの業を目の当たりにした人々は、「神はその民を心にかけてくださった」と神を賛美したとある。この言葉は、ザカリアの預言-「主はその民を訪れて解放した」(ルカ1:68)-を思い起こさせる。「心にかける」という語は「訪れる」と訳される語と同じ動詞(エピスケプトマイ)である。ザカリアの預言によると、旧約の時代に、神は民を訪れて贖ってくださり、さらに神は、闇と死の陰に住む者を照らし導く光となって再び訪れてくださるであろうと言う(ルカ1:78-79)。この預言通りに、イエスはナインのやもめと彼女の一人息子を訪れ、救いをもたらした。

神は苦しむ人、悲しむ人に心の底から共感し、救いの手を差し伸べようと近づいて来られる。「憐れに思い、近づく」は「善いサマリア人」や「放蕩息子」のたとえでも使われる、ルカに特徴的な神の救いの業の表現である(ルカ10:33-3415:20)。ミサとは、このように神がご自分の民を訪れてくださったことを喜び祝い、感謝する祭儀である。共に喜び祝い、感謝する私たちは、また共に苦しみ、悲しむことができるのだ。