カトリック高蔵寺教会報

第133号

2017年9月24日

 

編集:広報委員会

発行責任者:

 主任司祭 椎尾匡文



カトリック高蔵寺教会平和旬間講演会(講師による要約)

「世界の中の日本と憲法:父国日本と母国フランスから見て」

講師:武者小路公秀

 

  報告者は、平和旬間で、高蔵寺教会で話ができることに感謝した。コルベ神父の殉教と同じファシズムの大量虐殺に反対する第二世界大戦で敗戦し、当時制定された新憲法の前文で、「平和に生存する権利」を認め、その九条で侵略的な植民地主義の手段となる軍隊の不保持を誓ったこととの深い縁を指摘した。講師は、自分の話の裏に、ヒットラーとの最初の条約を締結した駐独大使だった父親が、解任・帰国するとき、ユダヤ人大量虐殺を指揮することになったヒムラーからもらったシェパー

ド犬に、「あいの子」イジメを慰めてもらったことの罪悪感と、「日仏混血」の母親に言われて、ベルリン・オリンピックで、日の丸が掲揚されるときの感激について作文を書いて先生に褒められたこと。 しかし、7歳で日本に最初に帰る前に、日本は人殺しの首相がいる国、伊藤博文が朝鮮女王を殺害したことを教わったこと。フランス・ハーフだった母親に愛国心と日本への警戒心を同時に植え付けられた。しかし、7歳で日本に最初に帰る前に、日本は人殺しの首相がいる国、伊藤博文が朝鮮女王を殺害したことを教わったこと。フランス・ハーフだった母親に愛国心と日本への警戒心を同時に植え付けられた。

  続いて、本題に入った講師は、スペイン領カナリア群島の話をした。1970年代にスペインが北大西洋同盟軍に参加することに反対したカナリア群島で、その島ぐるみ運動の模範に日本の「憲法九条」を選び、その石碑をたてた広場を、「広島・長崎広場」と命名した。実は、憲法9条は、第二次世界大戦以前からの日本の加害の反省がもとで、原爆被爆の被害がもとではなかった。でも、「広島・長崎広場」に九条の碑がたっているのは、世界の中の日本が、軍事力の加害と被害との両側面をよく表しており、その意味で、軍事力の全面撤廃を決定した、敗戦当時の日本人の悔い改めと軍事力撤廃の願いをよく表していた。講師はカナリア群島に立つ九条の碑の前に立って、初心に帰ることが出来ないでいる自分の至らなさを痛感した。

  そして、この反省をもとにして、日本と同じ被害者と加害者の両面をもってきた、スペインでの「平和への権利」運動の、日本では知られていない背後の状況について話した。実は、スペインも、ヒットラー空軍のゲルニカ爆撃で、バスク少数民族の大量虐殺を受けた被害者の側面とともに、ラテン・アメリカでの植民地支配による民衆の平和な生活を破壊してきた加害の歴史がある。ゲルニカ爆撃については、ピカソの「ゲルニカ」悲劇の名画がある。スペインの植民地侵略の加害については、日本国憲法の前文の「平和に生存する権利」と同じ意味の世界の民衆の「平和への権利」を巡る、スペイン市民とラテン・アメリカ民衆との連携プレーがあったのである。その反省から、1970年代以来、ラテン・アメリカの軍事政権に反対して広まった「平和への権利」運動に支持・協力して、2010年に北東スペインの巡礼地サンティアーゴ・デ・コンポステラで、「平和への権利」宣言を議論するスペインとラテン・アメリカ中心の世界市民の参加する大集会が開催された。そこで採用された「平和への権利」宣言は、国家が合法的に殺人する軍隊と警察の合法的な暴力によって、人民の恐怖をあおることを禁じ、巨大な多国籍企業がその自由な投資を国家に強要することで、民衆の大部分が欠乏(貧困)状態に置くことに反対し、特に弱い立場に立つ人々の平和に生きる権利の尊重を国家と多国籍企業に義務付けようとしている。ところで、「生きる権利」とその多様性を人権の中心に据えた、この「平和への権利」は、もともとチリやアルゼンチン、ブラジルなどの軍事政権を批判する青年たちを不法逮捕して、秘密裡に処刑した1970年代から80年代にかけて、国家安全保障の「専門家」である軍部に侵害されずに平和に生活する権利を主張して始まったものである。

 しかし、この運動に新しい精神的な支えを与えた、ラテン・アメリカの先住民族がいた。その先住民族たちが、「平和への権利」運動に貢献したのは、その西欧と違った母なる大地パチャママに配慮して、宇宙と喜びを共にする生きざま、スマック・カウザイに基づく世直しの思想であった。パチャママの信仰は国連にもひろがって、パチャママの日が国際的な生態系を守るために制定された。母、ママなる大地パチャを勝手に国有化したり商品化しないことが「平和への権利」の前提条件であり、人々は商品として扱われないで、スマックつまり宇宙の喜ばしい繁栄に相応しい、生活、生きざま、カウザイをおくることが、平和に生活することの本当の生きざまである。そのことが、ラテン・アメリカ全土での「平和への権利」の運動の精神的な支えになっている。フランシスコ教皇の回勅『ラウダート・シ』にあるように、このような先住民族との対話を進めつつ、世界各地のスラム内の自律的な愛の実践による貧困の克服努力をすすめている民衆と連帯して、我々が「全被造物の最終的な変容」に向かう道として、日本国憲法の「平和に生きる」道を歩むことを提案したい。『ラウダート・シ』は、「永遠の命とは、輝くばかりに変容させられた被造物それぞれが、全面的に解放された貧しい人々に喜びを与えること」、そういう全被造物の最終的な変容にむけて、先住諸民族との対話を進めること、また、工業化・情報化した近代社会のケガレが累積したスラムにも、犯罪や暴力にものともせずに愛の実践が進んでいる、そういう工業化社会の落ちこぼれとみなされながら頑張っている人々も、「神のもとにおける永遠の休息」にともに参加することを提案しているのが、『ラウダート・シ』である。憲法9条もその前提になっている「平和に生存する権利」もそのような精神性・霊性に支えられる新しい文明への歩みだということこそが、講師が伝えたかったメッセージである。